杓立のない奥伝
柄杓は陽、柄杓の下にある蓋置は陰になります。
天目を用いる場合は右手に柄杓と蓋置を持ち、左手に建水を持つ形になります。
台子12段では杓立を置かない設えがあります。
台子の中で上に伸びているものを置かないということは、草木がまだ成長していない春を表しています。
春は草、夏は行、秋は真、そして冬は真行草になります。
台子を宇宙とすると草は宇宙の始まりを意味していると思われます。
天地創造期の世界
日本で言えば造化三神である、アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カムムスヒを表しているように感じます。
盆に三を書くだけなので三神を清めているのではないでしょうか。
草では天目茶碗を掌に乗せる所作が多く、掌に天目茶碗を乗せて茶を点てるなど厳粛な真の行台子点前とは違って、まるで赤子をいたわるように見えます。
台子12段は草から行、行から真へ向かうにつれて神の存在を強く感じてきます。
実際に感じます。
見えない世界と繋がってきます。
繋がらないとただ手を動かしているに過ぎないお点前になってしまうんです。
私の真之行台子のお点前を見た人の中から涙ぐむ人がいますが、そういうとき神との繋がりを深く感じます。
それに対して大圓之草では神というよりは和の世界を強く感じます。
しかし大圓之草は台子12段からは離れてはいますが奥伝です。
それは右手に柄杓と蓋置を持ち、左手に建水を持つ形になるのは、台子12段の草での所作になります。
そして黒の真塗の大圓盆は真台子の代用とも思え、盆の中には唐物茶入と和物茶入が置かれています。
ここで興味をひくのは、台子12段といえども和物茶入と唐物茶入とはその扱い方が違うのに対して、
大圓之草ではたとえ和物茶入といえど同じお盆の中に唐物が置かれているため、そうせいや両手扱いになるんです。
そして和を強く感じさせられるのは茶杓を清める前のちりうちと、清めた後の帛紗を払う所作です。
和独特のお祓いになります。
しかしそれをあえてやらない傾向が最近見られます。そのように代わってきたらそれに従いますが、私個人としては帛紗を払う所作を変えてほしくはありません。