千利休は起業家で武士で茶人その利休が心から愛した人は

織田信長が天下を取るその前に実は三好長慶が天下を納めていました。
長慶の実名は長利  弟は実休 この2文字をいただいて利休という名になりました。

なぜ利休が天下人である三好長慶と親しくなれたかについてはここでは省略します。

長慶には3人の妹がいてそのなかの腹違いの妹、宝心妙樹と利休は結婚をしました。
利休20歳 妻宝心妙樹15歳

利休は商人の子とはいえ貧乏でしたが突然出世をして、天下人の妹と結婚をして裕福になったんです。

村田珠光や竹野紹鷗そして千利休は茶人ですが、もう一つの顔はやはり起業家です。

応仁の乱で革職人であった竹野紹鴎の祖父は甲冑や鞍などに使う革製品の販売によってのし上がりました。

その紹鴎の弟子のひとりに田中与四郎がいました。
田中与四郎とは利休のことです。

田中与四郎の祖父田中ちあみは8代将軍足利義政の茶同朋でした

8代将軍足利義政は後に隠居のために建てられた京都東山の御所で、足利義満から義則の雑華印のある画家18点など収集され、茶道具なども含め後に東山ご物と称されています。

さて利休と三好家とは義兄弟になり田中宗易こと利休は異例の出世をしています。

利休のバックには三好長慶がいて その三好長慶のバックにはイエズス会が控えていました。

ですから3宗匠といわれる 田中宗易 津田宗及 紹鴎の娘婿である今井宗久は紹鴎のでしでありイエズス会とも深くつながっています。
イエズス会と深くつながることで火薬や鉄砲を手に入れることができました。

宝心妙樹は精神を患っていましたが、その宝心妙樹の力が非常に大きかったのです。

利休が起業家としての才覚を発揮できたのも、起業を発展させる傍ら茶道にも専念できたその影に、妻宝心妙樹の存在があるのです。

ところが結婚生活20年目にして三好実休、長慶な亡くなり、三好家は滅亡へと向かいました。
そうなると宝心妙樹の存在が邪魔になってしまうため、以後は三好家との関係や妻に関しては封印したのです。

妻宝心妙樹を亡くして翌年利休は宗恩と結婚をしている。
宗恩の連れ子に小庵がいます。

利休は起業家であり武士なので秀吉の逆鱗に触れ切腹させられました。
商人なら切腹はあり得ないのです。
利休は三好家の一員になりそのため武士という身分になっていました。

文献では先妻の宝心妙樹は精神がやんでいたため別居していたという説が有力です。
カトリックなので先妻が亡くなってから後妻を迎えたことになりますが、利休の遺言では財産は実の子紹安に託し、小庵には渡してはいません。

私の創造です。

真之真台子では天板の左右に天目台が置かれています。
そして左側の天目台の手前には帛紗を置きます。

左側は陰 右側は陽
先妻は陰 後妻は陽
そうすると左側の天目は宝心妙樹
右側は宗恩

武士の命が刀ならば茶人の命は帛紗
左側の天目の手前に帛紗は命を表している

真之真台子では釜に封印をします。
それは三好家が滅んだことで宝心妙樹を封印してしまった。

しかし心は常に宝心妙樹の方を向いている
そして逃げられたはずの切腹を受け入れたことは
亡き妻宝心妙樹のいるところへ行きたかった。

真之真台子の次は真行草台子といって黄泉の世界になります。
そして生まれ変わり草之草台子から始まります。

もしかして千利休は自分の運命を悟っていたのかもしれません。

2024年02月09日