夜入め
キリスト教は三好長慶や織田信長公認の布教活動であっても、当時の庶民から見ると
侵入者であり、仏教徒から見れば自分たちの生活を脅かす侵略者に見えたに違いありません。
キリスタンノ布教はあまり目立つと危険なので目立たないような活動をしました。
そこで利休の提案した朝茶や夜込めがローマ教皇によって承認されたんです。
夜込めとは 暗いうちに炭を1又は2本おこし、庭に水を打ち、灯籠に明かりを灯します。
利休の時代では冬至では朝の4時頃から 夏至では朝の2時頃からお茶会を始めました。
これを暁の茶事といいます。
前座は夜咄風に、後座は朝茶事風の形式で行います。
この時代では冬至では朝の4時頃から、夏至では深夜2時頃から行われていたそうです。
現代の人とは時間の感覚が違っていますが、それでも人目につかないようにこの時間帯で夜陰の中で行われたのです。
現在ではそのような心配はないので、朝の5時頃から行われています。
夜込めでは、
前日消した灯籠に火を入れます。
灯籠といえば写真で見ましたが南宗寺の灯籠にはマリア像が彫られています。
これをキリスタン灯籠と呼びます。
灯籠は十字架やキリスタンを表しているんです。
夜込めでは茶室に入った客に対して前茶を出します。
そのため初炭では釜の湯を補充するために水次をしますが、本来の薬缶を持ち出して釜へ水を注ぎません。
濡れ釜にします。
濡釜とは
水屋へ釜を持って行き、水皿の上にすじ違いに置いてある釜据えの上に置く、
釜の蓋をしたまま水こしを通して水をかける、
釜の蓋を布巾で清める、、
台にあずける、
釜の湯をあける、
水こしを通して釜に水をさす、
水屋雑巾の上に釜をのせる、
釜の底の水を充分に拭き取る。
私個人としては濡釜とは洗礼になると思います。
半田は、はじめ和泉半田村から焼き出したので半田と言われるようにました。
巴半田は素焼のもので、その中に乾いた灰を入れます。
底取で巴状を描くので巴半田と言われます。
巴というのは水の卦で、火が乗るところに水の卦を描き、水の陰と火の陽で火の勢いをコントロールします。
暁の茶事での初炭手前では長火箸、底取りと巴半田を使い火が生まれ変わるのです。
そしてお菓子をいただくころには突き上げ窓(窓)を開けて朝の光が部屋に入り、巻いてある掛物を亭主が正客に掛けるように所望します。
掛け軸に朝日がさしていく様子はイエスキリストの復活を感じさせられます。
宗嘉流では暁の茶事は復活祭になります。
それは暁の茶事を通してあなた自身の復活祭になるんです。
暁の茶事では魂の復活を見てきた私には、その様な気持ちで亭主を務めさせていただきます。
1573年9月8日グレゴリウス13世により、『茶室でのミサ』 『非洗礼者の参加』 『夜明け前のミサ』が承認されました。
そして『夜明け前のミサ』が暁の茶事であると私は解釈しています。